2016年02月02日
筏が峰
戸隠神社信仰遺跡がある小川村 筏が峰(筏ヶ峯) へ
国道19号線から小川村塩沢集落へ
標高が上がるににつれ積雪も増してきました。。
奥の院入り口
鳥居を潜って参道へ
奥の院跡に到着!
祠が鎮座していました。。
案内板によると戦国時代 北信濃の覇権を争う武田・上杉両勇は
勢力拡大の策の一つとして寺社を支配下におさめようとしました
戸隠一山も度々その争いに巻き込まれその難を逃れるため
この地を支配する大日方氏を頼り1564年から30年間
戸隠三院を筏が峰に移してしたのだそうです。。。
戸隠三院の衆徒70名余りは戸隠の地を立ち大望峠から鬼無里に入り
さらに大洞峠を越えて小川の筏が峰に辿り着いたのでしょう。。。
このルートは現在の県道36号線とほゞ重なりますっ
大祠峠の登りからの鬼無里中心集落 背後は一夜山と戸隠連峰
戸隠と鬼無里の境「荒倉山」 と 鬼無里と小川村の境「虫倉山」
大洞峠にある飯綱山
小川村筏が峰周辺には戸隠にちなんだ地名が今でも残っています。。。
国道19号線から小川村塩沢集落へ
標高が上がるににつれ積雪も増してきました。。
奥の院入り口
鳥居を潜って参道へ
奥の院跡に到着!
祠が鎮座していました。。
案内板によると戦国時代 北信濃の覇権を争う武田・上杉両勇は
勢力拡大の策の一つとして寺社を支配下におさめようとしました
戸隠一山も度々その争いに巻き込まれその難を逃れるため
この地を支配する大日方氏を頼り1564年から30年間
戸隠三院を筏が峰に移してしたのだそうです。。。
戸隠三院の衆徒70名余りは戸隠の地を立ち大望峠から鬼無里に入り
さらに大洞峠を越えて小川の筏が峰に辿り着いたのでしょう。。。
このルートは現在の県道36号線とほゞ重なりますっ
大祠峠の登りからの鬼無里中心集落 背後は一夜山と戸隠連峰
戸隠と鬼無里の境「荒倉山」 と 鬼無里と小川村の境「虫倉山」
大洞峠にある飯綱山
小川村筏が峰周辺には戸隠にちなんだ地名が今でも残っています。。。
Posted by びーぐる at 19:17│Comments(0)